「マネジャー昇格おめでとう」「次はあなたがリーダーだ」。そう言われて、役割は変わります。けれど、その新しい役割をどう務めるかを学ぶ場は、ほとんど用意されていません。あっても数日の研修くらいで、あとは現場で手探りです。
型も支えもないまま立場だけが変わると、私たちは手元にあるものに頼るしかありません。過去の経験、うまくいったやり方、「リーダーはこうあるべき」という思い込み、自分では気づいていないバイアス。プレイヤーとして成果を出してきた人ほど、この引き出しは厚くなっています。
問題は、その引き出しがそのまま落とし穴になることです。かつて自分を成功させた判断のクセが、リーダーの立場では、自分にもチームにも静かに不利に働きます。しかも、その多くは自分からは見えません。リーダーの最大の死角は、たいてい自分の思考の中にあります。
ジェニファー・ガーベイ・バーガーは、リーダーが繰り返しはまるこの思考を5つに整理し、「マインドトラップ(思考の罠)」と名付けました。著書『Unlocking Leadership Mindtraps: How to Thrive in Complexity』(Stanford University Press, 2019、未邦訳)で、複雑性の時代を生き抜くための鍵として示したものです。
※ バーガーは成人発達理論の分野でも知られます。
5つの罠を自分ごととして点検し、リーダーとして一段成長するための地図として使ってください。
罠その1:シンプルストーリー。脳は勝手に物語を完成させる
部下の報告が遅れた。その瞬間、頭の中ではもう「やる気が落ちている」という物語ができあがっています。私たちの脳は、断片的な事実から一瞬で筋の通ったストーリーを作る。便利な機能です。単純な世界では。
問題は、その物語を事実として扱い始めることです。いったん「やる気が落ちている」と決めると、それに合わない情報は目に入らなくなる。物語は勝手に補強され、ずれたまま打ち手を打ち続けます。
実践:別の物語を、あと3つ。 誰かの行動に腹が立ったり、状況を決めつけたくなったら、それが合図です。「他にどう説明できるか」を3つ書き出す。報告の遅れなら、別件で潰れている、何を報告すべきか曖昧だった、悪い知らせを伝えにくい空気を自分が作っている。3つを「念のため」ではなく本命候補として並べてください。どれが正しいかは、本人に聞くまでわかりません。そして聞くと、たいてい4つ目が出てきます。

罠その2:正しさ。「正しい」という感覚は、ただの感覚
「自分は正しい」と感じるとき、胸のあたりがすっと軽くなる感覚があります。迷いが消えて、前に進める。気持ちのいい感覚です。
バーガーがここで突いてくるのは、その感覚は正しさの証拠ではない、という一点です。人は、間違っているときもまったく同じ確信を覚えます。確信の強さと正しさは、関係がありません。
やっかいなのは、リーダーの確信が強いほど周りが黙ることです。自信たっぷりの上司に「それは違うと思います」と言うのは、誰にとっても面倒くさい。こうして、検証されない確信が、いつのまにか組織の方針になっていきます。
実践:勝つためでなく、変わるために聞く。 私たちはたいてい「勝つため」か「直すため」に人の話を聞いています。相手の穴を探しながら、あるいは解決策を組み立てながら。次の1on1では、「この話で自分の考えが変わるかもしれない」という前提で聞いてみてください。同じ会話から拾える情報の量が、目に見えて変わります。自分が事実を見ているのか、解釈を重ねているだけなのかを見分ける練習には、ゲシュタルトの気づきの3つの領域も使えます。

罠その3:合意。そろった会議は、気持ちいいだけかもしれない
日本の会議では、合意の空気が早い段階で固まります。上の意向が見えた瞬間、反対意見はそっと引っ込められる。会議はなめらかに終わり、全員が賛成したように見えます。
その下で何が起きているか。検討されるべき選択肢が、検討されないまま消えています。バーガーは、合意を求める気持ちが「良いアイデアを奪う」と書きます。複雑な問題ほど、視点のズレそのものが資源になる。さっきの会議で若手が言いかけてやめた一言に、突破口があったかもしれません。
実践:反対を「役割」にする。 勇気や性格に頼らず、仕組みで反対意見を出します。大事な決定の場で、「今日は〇〇さんに、この案の穴を探す係をお願いします」と先に頼んでおく。役割なら本人は気楽に反対できるし、周りも人格と切り離して聞けます。係は毎回まわしてください。特定の誰かが「うるさい人」になるのを防げます。
この「役割で考える」発想を会議全体に広げたのが、エドワード・デ・ボノの「6つの帽子(シックスハット)」です。全員が同じ色の帽子を順番にかぶり、いまはリスクだけ、次は良い点だけ、と思考のモードをそろえて切り替えていきます。全員が同時に「批判の帽子」をかぶれば、穴を指摘することは難しい人の役回りではなく、その場の全員の仕事になる。反対が、誰かの個性ではなく、進め方の一部になります。

罠その4:コントロール。握りしめるほど、手から逃げていく
先が見えないとき、私たちはコントロールを強めたくなります。指示を細かくし、進捗を何度も確認し、資料の言い回しまで自分で直す。短期的には安心できます。
けれど複雑な状況では、結果そのものを直接コントロールすることはできません。できるのは、良い結果が生まれやすい条件を整えることだけです。細かく握った代償は、静かに積み上がります。メンバーは自分で考えるのをやめ、あなたへの依存が深まり、あなたはますます手放せなくなる。助けているつもりで相手の力を奪うこの構図は、ドラマトライアングルの「救済者」そのものです。
実践:計画ではなく、実験を渡す。 「この計画でやって」ではなく、「小さく試して、何が起きたか教えて」に変えてみてください。期間と範囲を区切った実験なら、外れてもダメージは小さく、得られる学びは現実に根ざしています。リーダーの仕事が、正解を配ることから、学びが起きる場を整えることへ移っていきます。

罠その5:エゴ。いまの自分を守るほど、次の自分は遠ざかる
5つのなかで、いちばん根の深い罠です。「できる自分」「正しい自分」というイメージを守るために、私たちは無意識のうちに大量のエネルギーを使っています。
360度評価で低いスコアを見て、「回答者がわかっていないだけ」と片付けた経験はないでしょうか。耳の痛い指摘を軽く流す。失敗の原因を自分の外に探す。どれも、エゴが防衛に入った瞬間のサインです。守っている間、成長は止まります。いまの自分を守ることと、次の自分になることは、両立しないからです。
実践:「次の自分は誰か」を問う。 フィードバックを受けたとき、「いまの自分は正しいか」ではなく「これは次の自分の材料になるか」と問い直してください。攻撃ではなくデータとして受け取れるようになると、痛みは消えませんが、意味が変わります。

まず、気づいてみよう
5つ全部に手をつける必要はありません。読みながら、いちばんチクッときた罠はどれでしたか。それをひとつ選んで、1週間、その実践だけを試してみてください。
罠は消えません。バーガー自身、これは人間の標準装備であり、ハマり続けるものだと書いています。自分も、来週またどれかにはまるはずです。変わるのは、ハマったと気づくまでの時間だけです。最初は会議の翌週、次は翌朝、そのうち会議の最中に。気づいたぶんだけ、自分を選び直せる。