「言わなかったこと」がチームを動かす:ユングの「影(シャドウ)」とリーダーシップ

レトロスペクティブを終えた直後、廊下で「さっきのあれ、正直まずいよね」と誰かがつぶやく。会議では出なかった本音が、その瞬間に姿を現す。ユング心理学が「影(シャドウ)」と呼ぶものは、組織の中にも静かに存在している。

レトロスペクティブの最後、「他に何かありますか?」と問いかけた。

全員が首を振った。「大丈夫です」「特にないです」。

会議室を出た直後、廊下でチームの一人が小声で言った。「さっきのあれ、正直うまくいってないよね」。

そのひとことは、1時間のふりかえりで一度も出てこなかった。なぜか。

誰かが嘘をついていたわけではない。ただ、「言えなかったもの」がそこにあっただけだ。

ユング心理学はこれを「影(シャドウ)」と呼ぶ。個人の中に存在するだけでなく、チームや組織の中にも静かに宿る、あの「言葉にされない何か」のことだ。


影とは何か

カール・グスタフ・ユングは影を「意識の自我像と合わない、無意識の側面」と定義した。河合隼雄は、影を「その個人の意識によって生きられなかった反面」と表現している。

わかりやすく言えば、影とは「なりたい自分像からはみ出た部分」だ。

幼いころから「感情的になってはいけない」「目立ってはいけない」「意見を押し付けてはいけない」と学んできた人は、怒りや野心や強い主張を影の中に押し込んでいく。意図しているわけではない。気づかないうちに、それが「自分のものではない」と感じるようになる。

ユングが指摘した最も重要な点は、影は消えないということだ。

抑圧された影は、別の形で外に出ようとする。その代表的な出口が「投影(プロジェクション)」だ。

ユングの弟子であるマリー=ルイーズ・フォン・フランツはこう論じた:人は自分の無意識的な傾向を他者の中に見ることがある。政治的な煽動も、職場の噂話も、多くの場合この投影によって動いている。

職場に置き換えてみよう。「あの人、なぜいつもあんなに意見が強いんだろう」と感じるとき、そこには自分が封印してきた「強い意見を持つ自分」への反応が混じっているかもしれない。「あのリーダー、変なところでこだわりが強い」と感じるとき、自分自身の未処理のこだわりが投影されている可能性がある。

誰かへの強い反応は、影の手がかりになることがある。


チームにも影がある

影は個人だけのものではない。ユングは「集合的な影」の存在を論じたが、組織開発の文脈でも同じ現象は起きている。

組織の影とは、「公式の場では言葉にされない、しかし実際には組織を動かしているもの」だ。

組織開発の研究者ジェラード・イーガンは著書『シャドウ・サイドを動かす』の中で、組織を動かしているのは表の戦略ではなく、暗黙のルール、語られない物語、水面下の政治だと指摘する。

日本の職場には、これが特有の形で存在する。

建前は公式の場で表明される立場だ。本音は内側にある本当の考えだ。そしてその間にあるのが根回し。会議の「前」に行われる非公式な調整のプロセスだ。

Globis Insightsでも、根回しを「シャドウ・ミーティング」と表現している。重要な意思決定の多くは、公式の場ではなく、その前の廊下や1to1の対話の中でされている。

これは必ずしも悪いことではない。根回しは、組織のノイズを減らし合意を形成するための知恵だ。しかし、そこに「影の代償」がある。

公式の場で語られなかった本音は、静かに蓄積していく。

不満は直接ではなく、受け身の抵抗として現れる。創造的な反論は「空気を読んで」引っ込められる。意見の違いは会議の後に、廊下や居酒屋でのみ語られる。チームが「順調に進んでいる」ように見えながら、気づけばだれも本当に納得していない状態になっていることがある。


影の中に「金」がある

ロバート・A・ジョンソンは著書『あなた自身の影を所有する』の中で、重要な逆説を指摘する。「人は影の中に潜む気高い側面を、暗い面よりもかたくなに抵抗することがある。影の中にある金は、私たちのより高い使命と関係している」。

影に押し込められているのは、欠点や恥ずかしいものだけではない。創造性、怒り、野心、率直さ、個性。文化や組織が「出しすぎてはいけない」と教えた資質もそこに含まれる。

封印されてきた「言いすぎ」や「出しゃばり」が、実はチームに最も必要なものだったということがある。

問題は影の存在ではない。影が「そこにある」と認識されないままにされることが問題だ。


リーダーが落とす影

「リーダーシップ・シャドウ」という概念がある。リーダーは意識しているかどうかに関わらず、チームに影を落としている。その影は、リーダーが何を言うか、どう振る舞うか、何を優先するか、何を測定するか。この4つで形成される。

ホーガン社の研究によれば、期待を下回るリーダーの割合は50%に上るとされる。その多くは能力の問題ではなく、プレッシャー下で「強みが影になる」ことが原因だと私が考えている。

オットー・シャーマーはリーダーシップの盲点についてこう論じている:リーダーが発揮する注意と意図の質こそが、あらゆる場面の成否を決める。自分の影に気づいていないリーダーは、意図せず同じパターンを繰り返す。Lumina Sparkのような自己理解ツールを使うと、自分の「強みの影」が可視化できる。

ストレスがかかったとき、あなたはどんな影を落としているか。

慎重さが「決断できないリーダー」に見えていないか。完璧主義が「チームを委縮させる細かさ」に変わっていないか。合意を重んじる姿勢が「誰も反論できない雰囲気」を作っていないか。

影はリーダーが意図する方向とは無関係に、チームに降り注いでいる。


明日から試せること

影を「統合する」とは、影を消すことではない。影の存在を認め、それを自分の一部として受け取ることだ。組織の中でそれをどう始めるか。

次のレトロスペクティブで、こう問いかけてみてほしい。

「今日、言わなかったことが一つでもある人は、付箋に書いてください。名前は書かなくていいです」。

これだけでいい。集めた付箋を読むことで、チームの影の輪郭がすこし見えてくる。「なぜこれが言えなかったのか」を話し合う必要すらない。「言わなかったことがあった」と認識するだけで、場が変わることがある。

もう一つ。自分が強く反応している相手を、一人思い浮かべてみてほしい。

「なぜあの人の○○がこんなに気になるのか」を問いの形で持ち歩く。すぐに答えは出なくていい。ただ、その反応の中に、自分が封印してきた何かのヒントがあるかもしれない、という視点を持つだけで十分だ。

ユングは言った。「誰もが影を抱えている。それが意識の中で生きられていればいるほど、影は薄くなる」。

チームの廊下でつぶやかれた本音は、影が出口を探しているサインだ。それに気づけるリーダーが、チームの変容を引き出す起点になる。


チームの「言えないこと」を構造的に扱いたい方は、カープマンのドラマ・トライアングルや、プルチックの感情の輪もあわせてご覧ください。yamanecоでは、リーダーシップ開発やチームの対話設計についてもご支援しています。

JB Vasseur

JB Vasseur

Founder / Facilitator and Coach / I love cats 😽