Corporate Rebelsのローカルコミュニティ Rebel Cell Japan として、アムステルダムのLusciiを訪問しました。2024年にオムロンに買収されたこのリモート患者モニタリングのスタートアップは、買収後も独自のホラクラシー文化を維持し、むしろその文化がオムロン側に浸透しつつあるという珍しいケースです。Lusciiの二人のメンバーと、オムロン側の担当者に話を聞きました。

普通の買収とは逆のこと
企業買収の典型的なパターンはこうだ。大企業がスタートアップを買収し、統合プロセスを経て、スタートアップは大企業のやり方に吸収されていく。創業メンバーは去り、文化は薄れ、やがて元の会社の面影はなくなる。
Lusciiとオムロンの場合、逆のことが起きている。
70人規模のホラクラシー組織が、オムロン ヘルスケアに買収された。1年半が経った今、Lusciiの文化は維持されているだけでなく、オムロンのデジタルヘルス部門全体がLusciiのやり方を採用しようとしている。
「買収後、自分の意思で辞めた人は3人。そのうち3人とも戻ってきた」
離職率ゼロ。これが彼らの成功指標だった。
「文化を壊すなら、買収しない」
なぜこんなことが可能だったのか。
オムロン側の担当者が説明してくれた。オムロンには過去の買収で苦い経験があった。イタリアの会社を買収し、「オムロン流」に統合しようとした結果、創業者が去り、うまくいかなかった。
「その経験から、経営陣で議論した。この会社を買収する前提条件は何か。答えは『できる限り独立を保つこと』だった」
買収交渉の段階で、オムロンの各部門──HR、製品、品質、セキュリティ──すべてが「Lusciiの独立を尊重する」ことに同意しなければ、買収は進まなかった。一つの部門でも反対すれば、白紙に戻す。それが条件だった。
「これに時間がかかった。でも、全員が合意しなければ意味がないから」
Conduit──外界との「導管」
買収後、Lusciiは独自の仕組みで文化を守った。「Conduit(導管)」と呼ばれるロールだ。
大企業には多くの部門がある。HR、製品、コンプライアンス、セキュリティ。それぞれが「自分もLusciiに関わる責任がある」と感じ、直接コンタクトしてくる可能性があった。
「オムロンの誰かがLusciiの誰かに連絡してきたら、自由に対応してはいけない。Conduitを通す必要がある」
これはポリシーとして明文化された。Conduitのロールを持つ人が、オムロンからの情報や要求をフィルタリングし、Lusciiの文脈に翻訳する。逆方向も同様だ。
「全員がオムロンの人とミーティングに引っ張り出されるのを防ぎたかった。信頼関係を築くには時間がかかる」
Lusciiのメンバーの一人は、買収に対して強い不安を感じていた。多国籍企業に買収されることで文化が壊れるのではないか、と。Conduitの仕組みがあることで、彼女は直接オムロンと関わる必要がなく、自分の仕事に集中できた。

1959年と2018年──同じことを言っていた
オムロンの創業者、立石一真氏が1959年に書いた文章と、Lusciiの創業者が2018年に書いた文章。二つを並べてみると、ほぼ同じことを言っていた。
「分散化。信頼に基づく運営。コントロールではなく信頼」
オムロンは成長とともに、創業者の精神から離れていった部分があった。Lusciiを買収することで、その精神を思い出すきっかけになっている。
「Lusciiは製品や技術だけでなく、働き方もオムロンに持ち込んでいる。創業者精神を思い出させてくれる存在だ」
契約ではなく、自然な帰結
ホラクラシーをオムロン側に広げることは、買収契約の条件ではなかった。
最初の1年半、LusciiはLusciiのままホラクラシーを実践し、オムロンのデジタルヘルス部門は従来のマネジメント構造を維持していた。二つの世界が並行して存在していた。
しかし、結果を見て、オムロン側の判断が変わった。
「オムロン・デジタルヘルスの責任者が言った。『Lusciiのやり方を、デジタルヘルス部門全体の働き方にしたい』」
これが最近の決定だ。Lusciiの働き方がオムロン・デジタルヘルス全体のデフォルトになる。まず、デジタルヘルス部門に何があるのかを明確にする作業から始まった。世界中に散らばっていた開発チーム、誰が何をしているのか明確でなかった部分を整理する。
「契約の一部ではなかった。この1年半で自然に生まれた帰結だ」
ソフトウェア会社を買収するということ
Lusciiのメンバーが、買収の本質について語った。
「ソフトウェア会社を買収するとは、実際には何を買収しているのか。ラップトップを持った人々の集団だ。工場も、物理的な資産もない」
だから、人を最優先にしなければ成功しない。人が心地よく感じ、組織を自分のものだと感じ、自分が属したいグループだと感じる必要がある。
「Lusciiはそれをうまくやってきた。5年間で自分の意思で辞めた人は3人。そして3人とも戻ってきた」
採用でも、文化フィットを最重視する。高いパフォーマンスを出すが文化を壊す人より、文化に貢献しホラクラシーを体現する人を選ぶ。それを戦略として明文化している。
日本人12人のオンボーディング
来年初め、Lusciiは12人の日本人メンバーをオンボーディングする予定だ。オムロン・デジタルヘルスからの合流組で、ホラクラシーの経験はない。
「彼らはこの移行を選んだわけではない。でも、できるだけ実りある経験にしたい」
オンボーディングについて議論が盛り上がった。Lusciiには独自の仕組みがある。
Accountability Partner ── 週次でペアになり、先週の振り返りと来週の目標を話し合う。マネージャーの代わりに、同僚がその役割を果たす。
New Lusciian Buddy ── 同じサークル内で、日常的な質問に答えてくれる人。Slackのチャンネルの使い方、Notionのページの見つけ方。
Holocracy Buddy(来年導入予定) ── ホラクラシーに習熟したメンバーが、新しいメンバーと週次でチェックインし、ホラクラシーに関する疑問や緊張を話し合う。
「自己組織化する組織にオンボーディングするのは矛盾がある。手取り足取り教えすぎると、自己組織化にならない」
ドラマトライアングルからの脱出
日本の文化的な課題についても議論した。「発言すること」の難しさ。
Lusciiのメンバーが、「ドラマトライアングル」というフレームワークを紹介してくれた。
従来の組織では、人は3つの役割を演じがちだ。Victim(被害者)──「私には何もできない」。Rescuer(救済者)──「私がやってあげる」。Persecutor(迫害者)──「あなたのせいだ」。
ホラクラシーは、これを反転させようとする。Creator(創造者)──「私には影響力がある」。Coach(コーチ)──「あなたならどうする?」。Challenger(挑戦者)──「別のやり方もある」。
「ルールを学ぶことはできる。でも、自分が本当に『ノー』と言っていいと信じられなければ、機能しない」
オランダでも、イギリスでも、これは難しい。日本ではさらに難しいかもしれない。でも、だからこそ時間をかける価値がある。

「発言すること」を促す工夫
日本からの参加者たちが、それぞれの会社での工夫を共有した。
ネットプロテクションズでは、新入社員がCEOと小グループで定期的に対話する機会がある。12ヶ月間、毎月。CEOが全員の名前と顔を覚えている。
「400人の会社で、CEOが全員のニックネームを覚えている数少ない人だ」
リレーションズでは、年2回、3日間の合宿を行う。外部コーチを招き、一人ひとりと1on1を行う。「何があなたをホラクラシーに参加することから遠ざけているか」を話し合い、その内容を合宿のアジェンダにする。
「日本人にとって、個人として発言することは難しい。でも、信頼があれば変わる。3年かかったが、今では緊張を出し合う文化が根付いた」
yamanecoでは、オンボーディングをRPGのようにデザインした。島から島へ進んでいくマップがあり、クエストをクリアしていく。「オフィスのドアを開ける」「オブジェクションを出す」。メンターは答えを教えるのではなく、自分で解決策を見つけることを促す。
訪問を終えて
「普通の買収とは逆のこと」が起きている。
大企業がスタートアップを買収し、スタートアップの文化が大企業に浸透していく。それは、買収の条件として「文化を壊さない」ことを最優先にしたから。結果を見て、自然な帰結として広がったから。
「契約の一部ではなかった。この1年半で自然に生まれた帰結だ」
来年、12人の日本人がLusciiにオンボーディングする。彼らがホラクラシーを体験し、オムロンに何を持ち帰るのか。この物語は、まだ続いている。